このコラムは、アンバサダー北嶋麻紀さんの摂食障害の体験記になります。

同じような苦しみを抱える方々への、一歩前に進む一助になれば、そんな麻紀さんの切実な願いが込められたコラムです。

拒食、過食嘔吐といった摂食障害の長く暗い"人生の落とし穴"の中で、麻紀さんが何を思い、もだえ苦しんだか。

真面目過ぎるがゆえに自分を責めたり痛めつけては途方に暮れる。

それでも出口を必死に探そうと彷徨いながらどのように出口を見つけるに至ったのか。

ヨガに出会ったことでどんな助けを得られ、現在では心静かに過去を振り返ることができるようになったかについて、綴っていただいています。

1人でも多くの摂食障害をおもちの方が、このコラムによって何か前に進もうとするきっかけとなりますことを切に願いながらお届けします。

このコラムは第1部と第2部に分かれています。

第1部は、麻紀さんの『苦しみ』について。
摂食障害を抱えるに至ったあらましや、その後の長い苦しみの日々を辿ります。

また第2部では、麻紀さんが摂食障害から『解放』されていく中でヨガがどんな風に手助けしてくれたのかが具体的に描かれています。摂食障害で具体的な出口を探していらっしゃる方は、こちらからお読みいただいても良いかと思います。(第2部 解放へ

私の鬱と摂食障害が始まったのは16歳、高校2年生の時でした。

きっかけは部活の先生との関係悪化です。

快活な子供時代

小さな頃から体を動かすことが大好きで、3歳からバレエを始め、太極拳指導者だった父の影響で小学生の時は太極拳を習っていました。その他にも習字や英会話、ガールスカウトなど、興味のあることは何でもすぐに始めるアクティブな子どもで、習い事で1週間が埋まる…というほど忙しい、でも楽しい毎日を過ごしていました。

今考えると、自分の体を使って新しいことに挑戦したり、何かを表現することに楽しさを感じていたのだと思います。

夢が膨らむ器械体操との出会い

そんな私がいちばん憧れたのが器械体操です。毎日仕事で忙しかった父が休みになると決まって一緒にやってくれたのが『体操教室ごっこ』でした。父が跳び箱となってそれを飛び越したり、側転や逆立ちなども教えてくれました。

そのうち私が徐々に難しい技を教えて欲しいとねだるようになったため、父は家で教えることに限界を感じ、見つけてくれたのが市の主催する子供向けの体操教室でした。

小学校4年生から通い始め中学生まで続け、その流れで中学校ではもちろん器械体操部へ入部。部活と体操教室の両方で練習を重ね、中学3年生の最後の中体連では県大会への出場を果たしました。

人格否定のパワハラから鬱状態へ

高校生になると勉強との兼ね合いもあり、他の習い事はほとんどやめてしまいましたが、器械体操だけは続けていきたいという気持ちが大きく、高校でも迷わず器械体操部へ入りました。

しかし、高校の部活動は気力と体力勝負…体が小さく体力がなかった私は次第に体と心のバランスを崩し始めます。

度重なる怪我や体調不良で思ったようなパフォーマンスができなくなった私を顧問の先生は罵倒するようになりました。練習中はもちろん、授業の間の休み時間、昼休みにも職員室に呼ばれ、他の先生方が見ている前で人格を否定する言葉を言われ続けたのです。

時には両親や家族への誹謗中傷さえ受けましたが、その場にいる誰も助けてはくれませんでした。

孤独の中で希死念慮に囚われて

そのような状況が続いていくうちに、私は完全に感情を失くし何も考えることができなくなっていきました。先生と顔をあわせる恐怖を感じながら学校へ行く毎日…でも、それを両親には一切話すことはできませんでした。

なぜなら、『できない自分が悪いから、親にも叱られるに違いない』と思い込んでいたからです。完全な自己否定は私から逃げ場を奪いました。その先にあるのは現状からの逃避…そう、自らこの世を去るということです。

何度か校舎の最上階へ行きました。が、その当時の私は『先生に叱られる』ことよりも『死ぬこと』への恐怖のほうが勝っていました。今考えると、まだ私の中に生きるエネルギーが残っていたのだと思います。