ヨーガプラクティショナーと切っても切れないのが、食事です。

何をどのような姿勢で食べることは、どのようにプラクティスしているかに直結しています。ベジタリアンやヴィーガンといったヘルシーなイメージも多く広がっていますね。

ではなぜ、菜食なのかということを一緒に考えてみましょう。

ヨーガの本場インドの文化体系やその源のヴェーダのヴィジョンを紐解いていけばその答えに行きつきます。

ヴェーダは宇宙が一つの大きな生命体であり、私たち人間もその生命体の一部であり、宇宙の運行の歯車であると教えています。

小動物、植物、お腹の中にいる菌まで全ては生命体です。そしパーフェクトにそれらは存在し、全てが役に立つようにデザインされています。

人間以外のあらゆる存在が実はすでに調和の中にあります。

それでは、人間と動物の違いとはなんなのでしょうか?

明確な違いは、人間は本能的な衝動にかられないで、考えを働かせて物事を選択できる自由意志が与えられているということです。

動物は本能で動き全てプログラミングの範囲内なのです。ですから、自ら他の生き物の領域に入り込み、奪ったり破壊したりすることはありません。

人間は唯一、自然の中に入り込み、もう十分与えられているのも関わらず、足りない、満たされないという思いゆえに、必要以上に奪ったり破壊を続けてしまうのです。

私たち人間は無知(自分の本質を知らないこと)故に、身体や言葉を使って、人や自然を破壊して、不調和を選択してしまう可能性があります。それは、与えられた自由意志を正確に使えていないという意味でもあるのです。

調和を選択するために、選択できる価値がヴェーダでは、非常に大切な言葉で、基本的な人間の価値として教えられています。

それは、皆さんも耳にする『アヒンサー』です。

ヨーガの聖典『ヨーガ・スートラ』第2章のアシュターンガヨーガのヤマの一番最初にパタンジャリ先生から教えられていることでも有名です。

それは、ヴェーダのもっとも大切な選択だと教えられています。

私たちが、宇宙全体と共にあるには、人間がその運行の歯車であるという紛れもない客観的な事実に気づくことで、自分自身も含めたあらゆる存在と調和を選択すること以外に、選択がないことがはっきりと認識されてきます。

人生の全ては、行いの連続です。

毎日の食事もその観点(アヒンサー)から、菜食を選ぶのです。

肉や魚は、人間の食べたい気持ちから必要以上に育てられます。一頭、一匹が殺されると、また再生することはありません。

野菜はどうでしょうか?葉物は、根を抜かない限り、摘めばまた生えてきます。ナッツやフルーツの種のあるものも、また生えてきます。できるだけ、傷つけない選択をするとき、自ずと菜食の選択しか残っていないことに気づきます。

ヨーガの本場インドのヨーガ実践者は、この意味を理解しているため、皆が菜食なのです。その価値は人々全体に広がっており、容易に美味しい菜食を食べることができます。

日本でも、10年以上前よりも、格段に菜食やヴィーガン、プラントベースという言葉を耳にするようになり、カフェやレストラン、大手の企業がその商品を提供することも増えてきました。

改めて、自身がなぜヨーガのプラクティスを始めたのか? ヨーガとは? どのように生きていきたいのか?を熟考してみると、その価値と選択の意味が深まってくるかもしれませんね。

皆さんが、いつもリラックスして、健やかで穏やかな暮らしでありますように、インドからお祈りします。

Harih Om
Amrita Toshi

Amrita Toshi (アムリタ トシ)

京都出身。
20年ほどインドに通い長期滞在しながら、恩師からヨーガと人間の幸せと究極的なゴールを教えるヴェーダを本格的に学び深める。世界的に著名なロルフ・ナウジャカットと妻のマーシーより、アシュターンガとアイアンガーシステムをゴアで学び、アシタスタントを務める。伝統的なヴェーダーンタの教えを世界的指導者であるスワミ・パラマートマナンダ・サラスヴァティから学び続けている。ヨーガを体系的に学び深め統合された教えは、トシのティーチングは隅々まで行き渡り、情熱的でまっすぐなインドの伝統に基づいた言葉の一つ一つは、多くの人の考えに明かりを灯す。それは、マットの上だけにとどまらない生き方としてのヨーガに、人生を捧げているからであろう。ヨーガがきっかけとなりサーフィンやフリーダイビングも嗜む。
・JADEYOGAJAPAN Ambassador
・Patagonia Pro
HP: https://namah-shivaya.com/
Instagram: @amrita_toshi/

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